筆者には、小学2年生と年少の男の子がいます。下の子のお喋りが達者になってからは、よく喧嘩をします。毎日毎日感心するほど、本当によく喧嘩をします。
最初の頃は、いちいち仲裁に入っていたのですが、ある日「母親の私が仲裁に入ることで、ますます喧嘩が激しくなる」ことに気付きました。そして、思い切って喧嘩が始まっても見て見ぬふりをしたのです。
そのうち、下の子が泣きながら助けを求めてきたので、「○○君は、ママにどうしてほしいの?」と聞くと、「兄ちゃんに背中を殴られた。よしよしして欲しいの。」と言いました。私がしばらく彼の背中を撫でてあげると、あとは喧嘩していたことを忘れたかのように、ケロッとして二人は仲良く遊び始めました。
兄・弟のどちらにも偏らない母親の対応が、子供の「嫉妬心」を誘うことなく、日常に戻すことができたのだと思います。
兄弟喧嘩を減らしたいと思うのであれば、危険を伴う場合は別として、基本的には、喧嘩の仲裁はせずに、しばらく静かに見守りましょう。
兄弟喧嘩の原因は、単純な子供の欲求のぶつかり合いと思われがちですが、実はそうではないのです。子供は喧嘩をすることによって、「母親の関心」を自分に向けようと必死なのです。つまり、子供は「母親の愛情」の奪い合いのために喧嘩をすることが多いのです。
うちの下の子もよく「ママは、○○君のものだからね~。兄ちゃんは、あっち行ってよ!」と抱きついてきます。上の子も「ママは、僕と○○君のどっちが好き?どっちがかわいい?」と聞いてきます。
いつも母親の愛情で満たされてたいと思う子供たちにとって、その愛情を共有しなければならない兄弟というものは、嫉妬の対象となり、ライバルにもなりえるのです。
母親が仲裁に入り、自分の肩を持ってくれているときはいいのですが、もし、自分ではなく相手の肩を持っていると分かると、嫉妬心を覚えます。
「僕よりも○○(兄弟)のほうが、お母さんに気に入られているんだ。」「次こそ、お母さんをこっちの味方にするぞ!」といった具合に、母親が仲裁に入ることは、次の兄弟喧嘩を助長する原因にもなるのです。
兄弟喧嘩に限らず、子供の喧嘩は、この先大切になってくる「社会性の訓練」であるとも言えます。喧嘩をしている子供たちを見ると、周りの大人や親たちは、仲裁に入ることが多いです。しかし、そこで喧嘩が収まったとしても、彼らの喧嘩の原因となった問題が解決されたわけではないのです。
少々怪我をすることになっても、子供同士で問題の解決までやらせましょう。子供たちも、納得するに違いありません。
喧嘩をすることは、「利害が相反する相手がいること」「妥協することの大切さ」「自分の要求がすべて通るわけではないこと」を自然と身につけることでもあります。人が生きていく上で必要となる社会性・協調性を身につけていくことでもあります。
最近では、子供同士の喧嘩が少なくなる半面、子供の喧嘩が殺人事件や凶悪犯罪にまで発展したという痛ましいニュースがありますね。これらの事件も、子供の社会性の欠如が原因であり、子供同士の喧嘩が少なくなったことが少し関係しているのではないかと思われます。
このように、子供から喧嘩を取り上げることは、子供の心理的発達に大きな影響を与えることになるということを、親としては知る必要があります。口喧嘩にしても、取っ組み合いにしても、周りの誰の力も借りずに、子供自身の力で困難な状況を切り抜ける体験こそが、子供の「自立心」を育てることとなるのです。